ぴぃこの転職活動日記

26歳会社を辞めた私の転職活動日記

甲子園で感動できない私がオモイダマ聴いていいのだろうか

熱闘甲子園への道」を見ている。野球は全然わからないし興味ない。BGMでかかるオモイダマが聴きたいだけ。
 
見てみたら、きっと熱い青春に感動して、ドライな自分も変わるかもと思って見てたけど、全くそんなことはない。
 
 
それどころか、高校野球のあり方にさらに疑問を持ってしまった。
 
 

骨折してまで行くとこか?

 
一番びっくりしたのは、龍谷大平安高校の石原遼大さんのエピソードが放送された回だ。
 
秋の大会でボールを取るためフェンスに激突し左大腿骨骨折の大怪我を負ってしまった石原さん。エース選手だったのか一変、野球が出来ない体となってしまう。彼はめげずに、記録員として仲間をサポートし甲子園の夢を一緒に追っている。
 
 
一見感動的なエピソードだけど、才能を開花させようとしていた石原さんが野球を出来なくなってしまったことは確かだ。
 
もし秋の大会で、ヤバイと思ってボールを取るのを諦めていたら、甲子園には出られなくても好きな野球を続けられたかもしれない。
 
それに、甲子園出場はプロ野球選手になる絶対条件ではない。甲子園出場経験がなくても活躍している選手はたくさんいる。続けられていたら、プロになってたくさんの人に感動を届けられる選手になっていた可能性もあった。
 
 
はっきり言って、たかが甲子園で骨折して、将来を棒に振るような真似を「感動」とかいって流すのってどうなんだろ。
 
そこまでして、行く価値が甲子園にあるのか?
 
純粋な高校球児にそこまでさせる甲子園や野球部ってなんなんだ。
 
 

仲間との感動>>越えられない壁>自分の将来

 
思うに、高校時代しか出来ない挑戦で、そこをことさらに強調されてしまうからだろう。
 
だから、仲間のために自分を犠牲にする。
 
そんな自己犠牲を良しとしてる人たちの人間性を疑う。
 
仲間と共に汗を流し、一つの目標に向かう高校生は美しく見え、夢も希望も投げ出したおっさんたちの大好物に違いない。そんな「感動が欲しい」大人のエゴに将来を左右される筋合いなんてない。
 
高校球児たちの人生は卒業してからも続く。野球を続ける機会はプロアマ問わずいたるところにあるのだから、そこで全力投球してもいいのではないか。
 
野球をやらなくても、若い頃に怪我で後遺症を持ってしまっては、将来の選択肢も狭められてしまう。
 
喜んで自己犠牲をさせるように洗脳するのではなく、もっと自分の将来を大事にすべきだと、諭すのが大人の役割だと思う。