ぴぃこ、息を吸う

26歳会社を辞めた私の転職活動日記

風邪だったから『桐島、部活やめるってよ』を読んでいた後編

前日の後篇です。

共感できない理由

 
私は、いい本っていうのは、誰が読んでも、一人共感できる登場人物が見つかる本だと思っていた。
 
だけど、『桐島、部活やめるってよ』には登場人物誰に対しても共感できない。
 
例えば、終盤のこの二人。
 
 
まず、後半の菊池宏樹の章から、すごい違和感があった。
 
章が終盤に差し掛かるこの一節。
 
大丈夫、お前はやり直せるよ、と桐島に言ってやろう。お前は俺と違って、本気で立ち向かえるものに今まで立ち向かってきたんだから、
 
 
ってとこで「???」となってしまった。
 
やり直すって何を?って思う。今さらバレー部に戻ったところで、やめようとした過去は変わらないし、仲間と余計気まずいだけ。それに、本気で立ち向かえるからこそ桐島はカーストと部活の馬鹿らしさに気づいて舞台から降りていると私は思う。だからこの物語にも出てこない。
 
そして、その「やり直せる」が、映画部の二人に「ひかり」を見出した結果の答えみたいだ。言われる前田たちも気の毒だと思う。
 
14歳のかすみの章も、なんかモヤっとする。
 
 
中学のバドミントン部でいじめられ、浮いてる親友の友未にこれからも友達でいると告げるシーン。
 
 
14歳であまりにも成熟し過ぎてる。ただ、こんな子がいてもおかしくないかなって思う。自分だったら、同じ歳でこんな風に声をかけられるか?かけられたとしても、失敗して相手怒らせそう(笑)彼女は高校に入り、変わってしまうわけで。前田涼也から背を向ける。
 

セリフゼロの主人公スクールカースト

 
ところどころ甘い彼らの言動も、全てスクールカーストをより強固なものと描写するための装置になってると思う。
 
宏樹は、映画部にわけわかんない憧れ持って、桐島に「やり直せる」なんて上から目線示しながら、散々サボった野球部に戻ろうとする。本気で立ち向かえるものを見つけるのは素晴らしいんだけど、その過程が自分勝手もいいとこな気がする。
 
かすみは、高校に入ってから、前田涼也と喋らなくなる。それは、中学時代に友未にした宣言の不実行であって、自分の気持ちに嘘をついている。それに気づきつつ、沙奈たちから離脱はできない。
 
彼らがこんな滑稽な劇を誰のために演じているのか。やっぱりスクールカーストしかない。
 
自分に相応しいグループの一員になるためのニーズを満たす毎日。そのうち、自分が何をしていたのかも、本当は自分が何を思っているのかもわからなくなって、広大なようで狭苦しい学校が世界の全てかのように振る舞う。スクールカーストを中心に。
 
つまり、終始一貫して出ずっぱりの主役はセリフゼロのスクールカーストだった。
 
登場人物に共感できなくても、「場」という巨大な主人公に惹かれて読みふけた。こういう形の面白い本ってあるんだと、著者が直木賞をとった年齢、24歳になってやっと気づいた私ぴーちゃんである。