ぴぃこ、息を吸う

26歳会社を辞めた私の転職活動日記

やっぱ大学は就職予備校だよパート1

大学は就職予備校じゃない!

この言葉は、私が履修していた授業で先生が発したもの。

大学は学問を極める場所であって、実務的なスキルばかり教えることはしない。就職に有利だから云々で授業を取るのは学問の本筋から外れている。そういう人に自分の授業はオススメしないし、それを求めるなら専門学校へ行くべき。

ということが言いたかったのだと思う。

でもね、先生。やっぱ大学は就職予備校であるべきだよ。

個人のニーズ、社会のニーズ両方を、大学は満たす義務があるのだから。

中途半端なアドバンテージ

学歴=人間の価値じゃない。

私みたいな高学歴ニートがいるように、必ずしも成功できるわけじゃない。長い不況で高学歴ワーキングプアの存在も当たり前になってきた。

しかし全体でみると、大卒と高卒では生涯賃金に格差が生じる。まだまだ大卒ブランドは有利だ。

かく言う私の母も、高卒でいい就職先がなく、舅にも馬鹿にされ大変辛い思いをした。私には、社会に出て学歴差別で泣いて欲しくないと常々言っていた。個人の体験としても「高卒は不利」というのは間違いじゃない。

大卒で成功するかは未知数だけど、高卒よりは苦労が少ないという実感がある。現代ほど大学の価値が宙ぶらりんな時代もないんじゃないか、というぼんやりとしたアドバンテージだ。

そんなぼんやりしたアドバンテージでも大学進学希望者がなくなることはない。少子化で学費が高くても名門私立の志望者は途絶えない(いい国公立大学も生活コストの高い都心に集中しているし、一般家庭にはきつい出費なので状況は同じ)。まだまだ、個人のニーズも高いのだ。

社会が大卒へ求める力

では、社会のニーズから考えるとどうか?上記で大卒はアドバンテージと言ったけど、そのアドバンテージの質は昔と今で大きな違いがある。

昔は、大卒=超エリートで存在そのものが貴重だった。教養を深め、専門知識を持つだけで尊敬を集め、成功が保証されていた時代。その知識が「ホントに使えるか?」ということはあまり要求されなかった。ただ秀才を輩出するだけで、大学は社会への責任を果たしていた。

しかしもはや大卒は、「末は博士か大臣か」みたいな一部の秀才orボンボンのみの資格ではない。

高度経済成長以降は4年制大学へ進学する女性が増え始め、大学も増設された。大卒はそれほど珍しくなくなったのだ。

凡人でも、塾で猛勉強してより上の大学を目指し、普通の家庭でも、無理して子供を進学させるのが普通になった時代。

では、博士にも大臣にもならない人は卒業したら何するの?

就職する。大卒→就職はもやは一つのパッケージと化している。

そうなると教養と専門知識があるかに加えて、「社会で使える人間か?」が重要になってくる。

英国文学に詳しくてもマルチタスクできない奴、数学科出てもエクセル使えない奴はいらない。でも、大企業はグローバルな競争するし育てるコストかかるし、高卒はちょっと…。大学の知識は使えなくても、こう言う理由で学歴フィルターをかけるため、良くも悪くも大卒のアドバンテージは守られている

ただ、学生やその親が思うアドバンテージが昔も今もあまり変わっていないのに対し、社会全体(主に企業)が大卒に求める能力は大きく変化している。

次回

以上から 個人の実感として大卒はまだまだ有利なこと 大卒→就職のパッケージ化 社会が大卒に求める力がかわっても、個人の感覚とは少し違う

この3つが大学を取り巻く環境なのだと思うし、大学もこれら個人のニーズと社会のニーズに柔軟に応えていくべきなのだ。

でも、大学内の人々はこの問題にまるで無頓着だ。だから「就職予備校じゃないから」の一言で、高い学費を払う親や学生に不十分なサポート体制の下で就活をさせている大学が多い。

いい大学だったけど、正直詐欺に等しいと思う私の母校の就活サポート体制について、次回は書きたい 。