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ぴぃこ、息を吸う

アニオタ混じりのエイターで、絵を描く自称会社員のブログよろしく!

道徳心があるから、いじめがあるんだよ

今日、いつものように遅く起きたニートは『ワイドナショー』を見てパンを食べた。

ニュースの内容は道徳の教科化について。

道徳を教科にして、成績をつけるというトンデモなことが平成30年度から始まるらしいけど、もっとヤバいのが、これに賛成の人々は道徳を教えればいじめ問題が解決すると思ってることだった。

こいつら、頭大丈夫か?

「今の子は道徳心がないからいじめをする」と思っている人々は大いなる勘違いをしすぎてて、もう、私は眩暈がしそう(クラクラ)。

だって道徳心があるから、いじめが起こるのだから。

「人に迷惑をかけない」の罠

マタハラが起こるメカニズムには、道徳心が一役買っていると思う。マタハラをする人たちは自分が悪いことをしていると全く思っていないのだ。

むしろ、「仕事に穴を開けてはいけない」「プライベートで周りに迷惑をかけてはいけない」という道徳心を元にそれに沿わない者を見つけ出し社内の正義を代弁している気になっている。

「妊娠して会社に迷惑かける奴は、道徳心を持つ我々の仲間ではない」

となれば、マタハラスタートなわけだ。

マタハラに限らず、いじめをする人間たちにはこういう道徳心を刷り込まれている。しかもそれが、長年受けた学校教育の賜物となると、もう国家道徳錬金術師となって大義名分を背負っている。

「仲間は大事」錬成陣。

私が小学生の頃、道徳の授業では仲間の大切さは声高に叫ばれていた。

いま学校で配られている『心のノート』とか言うのにも、同じようなことが書いてあるらしい。

そのためか、「仲間」や「友達」に当たらない人、「仲間」や「友達」を大切にできない人に対して

不道徳者だ!

とレッテルを貼ってあらゆる場所に錬成陣を描きまくるのである。

私がレジのバイトで出会った教育係Mはこの錬成陣を得意とするタイプの錬金術師だった。

ことあるごとに「仲間が」を口に出していた彼女。

私は新人なのだから、周りの仲間全員の名前を覚え挨拶をしなければならないと命令をした。勤務中のたわいもない雑談を聞いてたら「ぴーちゃんさん、そこ、笑うとこ!」と仲間の冗談に笑うのを促す。

はっきり言って、挨拶(時間外なので時給もつかない)のために15分も早めに出勤するのは大変だしやりたくない。笑えないものは笑えない。そんな気持ちで全てを無視していたら、Mの暴走が始まった。

「こんどやったら背中を蹴る」 「一人っ子だから気が利かない」 「誤解されやすいあなたのためにいっているのよ」

みたいなパワハラモードがスイッチオン。周りの同僚もそれに合わせて、

ド新人の私をレジで一人ぼっちにさせる 資材出しなど、労力のかかる仕事を中心にさせる 私がミスしたら聞こえるように舌打ち

堪えられなくて1ヵ月で辞めたらそのMから「私の思いが伝わらなくて、残念です」という謎メールが届いた。あの罵詈雑言に、どんな「思い」があったのか。SMの趣味でもあるんだろうか(だからと言って赤の他人にやるなよ)。

怖いけど、たぶん本心なんだと思う。良いことをしていると本気で信じている。彼女も長年学校職場の色んな場面で「仲間は大事」を刷り込まれてきて、実践してきたんだろう。だから、刷り込まれたそれに沿わない私を「仲間を大事にしない不道徳者」と認識し、排除を是とする行動に走ったのだ。

結論:道徳心は危険!

確かに、社会の中で生きるのに、ある一定のモラルは必要不可欠だ。

でも、それは自分自身の気持ちに正直でいることが前提だと私は思っている。

しかし、世に氾濫する道徳心は「会社が、周りが、仲間が」が基軸になっていて、個人の気持ちは全く介在しない。個人を傷つけても、集団の道徳を守ることが良しとされる。1対集団になれば容易に排除の論理が働く。それを我々は「いじめ」と、名付けているのだ。

実体験をした私がとしては、道徳心はとても危険思想としか思えない。

やはり、いじめは道徳心から起こっている。